汝の名はヘクソカズラ

 かつて自分の息子に「悪魔」と命名して役所が受け付けず、世間を騒がせた話があった。人名には、他人の子でも干渉するほどに気を使う。ところが野生の植物にはどんな名前を付けようと、よきにはからえだ。どんな名称で呼ばれようと自己主張するすべもない。
 植物の呼称で、哀れに思えてならないのはヘクソカズラだ。ほかにもハキダメギクやブタクサなど軽蔑された植物も多いが、ヘクソカズラは格別だ。この植物の名は、屁と屎と葛の三つの漢字で付けられている。
 葛(かずら)とは、つる性の植物の総称で植物の形質が想像できる。しかし屁と屎の、この二字だけはいただけない。あまりにも身近で、あまりにも不快に迫るからだ。
 一般に、屁(へ)とは動物の体内から出る、好ましくない発酵ガスだ。この言葉、値打ちや品位のないもののたとえに使われる。人前で音を出して放屁すれば、場所によっては人格まで疑われるのが世間の常識だ。
 屎(くそ)とは、動物の消化器で消化された食物のかすが、肛門から排泄されたものだ。汚いものの代表のイメージをもつ。この言葉を接頭語に使えば、くそばばー、くそじじい、くそったれ、など卑しめやののしりの言葉になる。
 この両者の品位のないネーミングをもつヘクソカズラは、実は別名「早乙女花」といわれるほど、小柄な可愛いアカネ科の花なのだ。多年生のつる性植物で他のものに巻き付き、太陽の光を要領よくとらえる。垣根や草の茂った場に普通に見られる。 

 葉は楕円形で、茎の下部はスイカズラのように木化して、冬でも地上に残る。そして翌春、そこから新しい茎を伸ばす。夏になると外面が白色で、内側に赤紫色の小さな、品のよい花をつける。この白い筒の花弁とその内側の紅色が、色白の少女の唇を想わせる。秋になると、球形で房状の光沢のある黄色いかわいらしい実をぶら下げる。早乙女花とは、よくぞ名付けてくれたと命名者のセンスに感心する。
 ただ一つの欠点は、この植物の茎や葉をもむと人間に好まれない臭いがあることだ。
 ところで、この植物になぜ、ヘクソカズラと名がついてしまったのであろうか。
 実は、万葉集の中で、すでにクソカズラと呼ばれていた。方言では、ヘクサバナ、クソネジラとも言われているという。昔から、この植物の花の美しさより、臭いの方が強く人々に印象づけられていたようだ。味噌も屎も一緒、というたとえがあるが、この植物、早乙女花という価値ある味噌が失われ、屎だけが残されたような気がしてならない。
 それにしても、この植物をヘクソカズラとした名付け親は、へたくそな名を付けたものだ。人間だったら、やけくそになるではないか。名付け親よ、あなたは万葉や方言を参考にして、クソカズラとヘクサバナのどちらを付けようかと迷ったのではないか。屁と屎、どちらも身近で共通の臭いだ、迷いの果て、ヘクソカズラとブレンドしたのではないかと、邪推もしたくなる。
 不思議なことに、この合成語、屁と屎の臭いが強め合うより相殺され、中和されたような気がするから妙だ。一度、この植物の名を覚えたら忘れないインパクトがあるのは、この合成語のおかげかも。
 とにかく、この花の名付け親、花の形や色より臭いを重視して名付けたことだけは明確だ。このヘクソカズラの名は、「月下美人」「ムラサキシキブ」など雅やかなネーミングの植物のイメージとは、月とスッポンである。
 ちなみに、強烈な臭気を発する銀杏(ギンナン)は、イチョウの実である。「銀」は貴金属で高貴な意味、「杏」はアンズである。よいネーミングのおかげで、われわれの食卓にも登場する。汝の名、ヘクソカズラの哀れさよ。《あみゅーず68号(1997年11月)より転載》