未完成が幸い、川久保公園


 一般に公園と言えば、公衆のために設けられた庭園や遊園地のことである。そして、それらの公園は、いつの間にかできあがり、「犬を入れるな」「ポール遊びは禁止」など、使用注意事項を書いた看板が立つ。管理責任は行政にあり、迷惑行為や怪我をすると裁判沙汰になることもあるからである。市民は、それを既成事実として受け入れている。
 私が散歩するところに、大池親水公園がある。大金をかけた滝と噴水のある近代風の公園である。管理維持費も相当な代物であるが、一番よい休息場所は、立入禁止でロックアウトされたままだ。いわば造らない方がよかった施設である。設計者は、利用者の実態より施設や美観に目をむく。
 維持費の少ない、気軽で自由な公園、ロックアウトのない公園が欲しい。
 バブルがはじけて、多くの自治体が赤字に悩んでいる。皮肉にも、この予算不足が幸いして、公園造成が立ち止まり、そこに豊かな自然が戻ってきたそんな未完成の公園がある。春日部市民にもほとんど知られていない、古利根川沿いの川久保公園である。
 一ノ割駅から徒歩五分、古利根川に架かる藤塚橋がある。橋を渡らず、土手の上を北へ1.2km行くと、田畑を埋めた草原があ.る。草原と土手の高さは、ほぼ同じ。境には丸太と針金だけの柵が400m続く。その先は東武野田線の鉄橋である。この柵で囲まれた細長い埋立地が未完成の川久保公園で、面積は約3haある。線路寄りに滑り台などの固定遊具と樹木が数本、植えてある。市では、草刈りと柵沿いに毎年コスモスを栽培して、市民地らしさを示すだけ。さっぱりとした草原である。
 この未完成の公園、客土のため多種多様な野草に恵まれ、春は彩の国にふさわしく野草で百花繚乱となる。とりわけ、シロツメ草はよく育つ。
 子どもたちはその上に寝ころんだり四つ葉のクローバー探しに夢中になったり、花輪づくりに熱中する。自然の中の子どもたちは、昔の子どもたちの遊びと同じである。自然は、眠っている人間の遺伝子を刺激し、脳に本能を目覚めさせるようである。
 この公園には、意図的か偶然か、丘のように小高いところと窪地ができている。雨が降ると丘の水は窪地に流れ込む。今年も学校のプールぐらいの湿地ができた。昨年は、今では珍しくなった赤いショジョウトンボが見られた。産卵したと思われるが、冬には水がなくなるのでどうなのだろうか。川に面した土手下は広い河原ができ、葦原がざわめき帯状に広がる。オオヨシキリがさえずり、カイツブリが子育てをする。古利根川の水面、葦原、土手草、川久保公園の草原は面でつながり、自然を共有した大きな自然公園となっている。
 このままの方がよいのではないか、そう思えてくる。
 ところが、である。この土手と河原が、埼玉県、中川、綾瀬川総合治水事務所発注で工事される運命にある。立て看板には「水と緑のネットワーク整備工事、都市河川改修工事合併(環境護岸工事)期間平成11年3月30日〜平成12年1月31日」と表示してある。
 この河原や土手に、改修工事が必要なのであろうか。土屋知事さんに見ていただきたい。浅草の隅田川では、コンクリートの河原を壊して葦を植えている。今は、失敗は許されない時代である。
 この工事、予算不足かどうかは知らないが、未だに着手していない。塩漬けのままにして、多くの市民の意見を聴いてからにして欲しい、私はそう願っている。
 川久保公園の対岸、東武野田線の鉄橋とクロスし四百メートルほどのところに、春日部市自慢の「ひまわり迷路」がある。評判がよいとかで駐車場まで用意している。費用は、業者委託費だけで600万円。しかし、花が咲いている期間ば出入り自由であるが、花が終わると来年の準備のためにロックアウトされる。
 7月下旬の夕刻、ひまわり迷路に立ち寄ってみた。入口のアーチに「ひまわり迷路」「WELCOME」と書いてある。この横文字、小学生や老人に理解できるだろうか。暑さのためか、ひまわりに水をやっている方が一人だけでほかに人影は見えなかった。
 自転車なので、ついでに川久保公園にも行ってみた。子どもたちが数人、虫綱を持って、ざわめく草原の中で跳びまわっている。母親らしき二人が子どもたちを見守っていた。
 花摘む野辺に日は落ちて……私は霧島昇の、この歌が好きなのである。《あみゅーずより転載》