悪名七草オオイヌノフグリ


 人間によって付けられた植物名には、個体の形質、生育の場所、直感的に感じ取った印象、ほかのものになぞらえたものなど、さまざまである。優雅で美しく命名されたものもあれば、悪名をいただいた悲劇の植物もある。そして、いったん名が付けられると、そのまま固定してしまうのもある。とりわけ、悪名を付けられた植物は、印象の強烈さで、後から改名しようと試みても手遅れになるようだ。
 悪名の一つにオオイヌノフグリがある。この野草、早春に咲く越年草の帰化植物で、明治二十年ごろ東京に帰化した。大正時代にお茶の水駅で咲いていたと書いた本があった。
今日では道端、土手などいたるところで見られる。瑠璃(ルリ)色の美しい花は自家受粉もするので、虫がいなくても種はできる。
 オオイヌとは大きいという意味で、特に花が大きいのである。フグリ(陰嚢)とは、辞書によると、ふくらみがあって垂れているもの、@睾丸、Aマツカサ、B秤のおもり、などの意味がある。また「ふぐりなし」と言えば、意気地のない男をののしっている言葉である。
 日本には、昔から同属のイヌノフグリがあった。後から日本に帰化したオオイヌノフグリは、前者とのかかわりで命名された。
 さて、問題はこの両者の種子の形の特徴で、犬の陰嚢(フグリ)そっくりなのである。命名者は、おそらく家で犬を飼っていて、そこからの発想が浮かんだのではなかろうか。ある植物図鑑では、古人は「しっかりした名を付けた」とほめていた。しかし、私は命名者は合理性には優れているが、情感欠如の人ではなかろうかと思っている。
 このフグリの語、現代では一般に通用しない。観察会でフグリの意味を聞かれたことがある。特に女の子は苦手だ。下品で説明が難しいのである。あるとき、間接的に犬の下腹部に付いている「ゴールデン・ボール」と、アミューズ的に言っても分からない。具体的に、オス犬のおしっこするところに付いているもの、と言ったら「キャー」とオーバーに軽蔑された。以後、私は虫めがねで種子を拡大して見せ「これがフグリの形だ」と上品(?)に説明することに努めている。
 後の植物学者などは、このオオイヌノフグリを「星のひとみ」「ヒョウタン草」「ルリカラクサ」「ルリクワガタ」などと、花の美しさにふさわしい名に改名を試みたが、一般には定着していない。教科書でもオオイヌノフグリである。
 高浜虚子は、俳句で、「犬ふぐり星のまたたく如くなり」と、この花の美しさを星にたとえている。琴座のベガ(おりひめ星)か、集団で咲き競うさまは、スバル座の輝く星の集まりと言えよう。
 また和歌では、「たはやすきものに慰む心よといぬのふぐりの花は除かず 谷鼎」「十二一重という野草あり瑠璃色のにおい優しきいぬのふぐり 植松寿樹」。
 これらのイヌノフグリとは、おそらくオオイヌノフグリを題材としたものであろう。作者は、フグリの意味などにこだわらず、この花の優雅な美をたたえている。
 このオオイヌノフグリの学名は、<Veronica Persia>である。ペルシャ原産のクワガタ草という意味であろうが、Veronicaには、英語で「キリストの顔が描かれたハンカチ」の意味もある。
 また、ある国では「青い小鳥の目」とかいう名が付けられている。日本とは、えらい違いである。この花、ヨーロッパ、アジア、アフリカにも帰化している。外国人に、自国ではどんな名で呼ばれているのか聞いてみたい。
 なお、在来種の元祖イヌノフグリは、オオイヌノフグリに生育地を奪われ、近ごろ見られないそうだ。外来種は日本の気候が、よほどお気に召しているらしい。昭和天皇がイヌノフグリをお探しになられているとかで、ある学者が探して鉢植えにして献上された、という余談もある。
 野草には、このような悪名が付けられた哀れなものが意外と多い。「NHK深夜便」で放送の「誕生日の花」に、不適切?として選ばれなかった花の中で、悪名七草を勝手にピックアップしてみた。括弧内は私の印象。
 オオイヌノフグリ(下品)、ブタ草(不潔)、ハキダメソウ(不潔)、ヤブジラミ(害虫で不潔)、ママコノシリヌグイ(いじめ)、ヘクソカズラ(下品、ののしり)、ウワバミソウ(ウワバミとは大蛇、恐ろしい)
 最近、「悪ナスビ」をよく見かける。北アメリカ原産の帰化植物で、葉と茎に鋭いトゲがある。うっかり触れると、ひどい目に合う。この植物なども「トゲワルナスヒ」とした方が適切だ。
 「ドクウツギ」や「ドクゼリ」のように、危険な植物には警告の冠頭語を付けた方がありがたい。これは悪名ではなく、植物の形質そのものが悪なのである。悪名とは、悪い評判の意味だが、「こんな名前に、だれがした?」と感じるのは私だけだろうか。(あみゅーず82号より転載)